日々の泡粒
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2005年7月1日(金) 行動的なトラ
別にネタがないわけではない、むしろネタまみれなんですが、一日C言語さわってたおかげて日本語おかしいので、こんなんで勘弁してください。
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あ な た は ど ん な 男 性
威風堂々としたあなたは、周りの人から見れば威厳さえ漂っています。
知的でスマートな態度は近寄りがたいと思われる事もあります。
実際は、幅広い知識を持った温厚な努力家の紳士です。
パワーはありますが、脇目も振らずに前に進むということはありません。
状況分析に長けたあなたは、常にその場に合った適切な対応が出来る人です。
芸術方面や企画力に優れた才能があるため、リーダーとしてチームを引っ張っていくことも少なくありません。
そして机上の理論だけでなく、実勢にプランを実現させる、実務に関しての実行力も秀でています。
実力は十分に備わっているので、仕事ができるタイプの男性といえるでしょう。
あ な た の 本 質
自信満々のように他人から写りますが、独断で物事を決めたりせずに、常に周囲の状況をうかがっています。
その中で自分をどう生かしていくかを考えているのです。
時には周囲の事を気にするあまり、自分でブレーキをかけすぎて消極的な態度になって現れることもあるようです。
自立心が人一倍強く、根性も並大抵ではありません。
これはと思った仕事には全力で事に当たり、身を粉にしてのめり込むことが出来るタイプです。
プライドが高く自分にも厳しいため、他人にも同様の厳しい目で見てしまいます。
対 人 関 係
冷静な観察眼を持ちながらも親しみやすく、おおらかな気質のあなたは、細かいことを気にせず、開放的で、誰とでも顔なじみとなってしまいます。
初対面でも人見知りせず、積極的に人と交われるため、友人も多いひとです。
人に指図されるのが嫌いで、プライドが高いため、自尊心を傷つけられる言動には強く相手に出ることがあります。
普段温和なあなたが怒るのはこの自尊心を傷つけられた時が多いです。
意志が強く自分に厳しいため周りに対してもつい厳しくなってしまうことが、口やかましいと思われることもあります。
★注意点 口やかましいと思われることもあるので、常に和やかな心を保つことが大切です。
恋 愛
あなたは真面目な恋愛を地道に実践するタイプです。
自分の考え方を強く持つ気質は恋愛でも顕著に現れます。
つまり好きになった相手には「自分だけを見ていて欲しい。」と言う独占欲が強いです。
しかし恋愛関係が成立するまでは、一見関心のないふうを装いながら、内心では色々と計算するタイプです。
一度好きになった人にはかなり、積極的にアプローチしますが、その仕方が、表面的には、押しつけがましい素振りを見せないため、成功率は高いです。
このタイプのもつ堂々とした自信のある態度が、相手に好感を持たせます。
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『新動物占い』とかいうのをきゃいきゃい言いながらやってたら、“行動的なトラ”に決定。真偽の判断はおまかせしますが。『新動物占い』でぐぐってあげるときっと出てきます。って、すでに支店で出したネタの再利用なんだけどさ・・・
2005年7月1日(金) 大石内蔵助
ついでというかなんというか、日本史占いとかいうのもやってみた。
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大石内蔵助
毅然とした態度、正しい判断、徹底した実績重視と合理主義を地でいくあなたに、周囲は一目置いています。「義」を重んじ、何事も一本筋を通します。目的のためなら手段は選ばないので、ときには残酷な面も。吉良邸討ち入りは、その決断を下すまで入念な準備を重ねました。時には敵方を油断させるための嘘の情報を流したり_等。身内に一人の死者もださないという方針で、必ず勝つ仕掛けを考えました。
頭脳・知性
実績根拠重視。経験や実績を積み、確信を得てから発言したり行動するタイプ。実績、根拠のないことを軽々しく口にしたり、周囲の話を鵜呑みにすることはしない。日々、実績を磨いている。
センス
正義心が人一倍強く、悪事や不正には敏感。何事も筋を通さなければ気がすまず、それがたとえウルトラマン的正義でも、自分が信じた道を貫く強情さが“男の中の男”と称賛される。
感情
冷静沈着で、どんなことにも動じない強い精神力を持っている。ピンチに直面しても、過去の経験と実績がモノをいい、そつなくこなす。確固たる自分をもっているので、だらしない人には少々厳しい。
外見・言葉
ふだん口数は少ないほうだが、言うべきことははっきり言う。すべて裏付けられているので説得力があり、言葉に重みがある。全体を把握して、客観的に分析・判断する批評家評論家タイプ。
行動
責任感が強くリーダー格。目的達成のために、緻密に計画を立て、メリットデメリットを考えてから行動に移す。どちらかという慎重な策略家。勝ち目がないと判断したらあまり無理はしない。
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ふぅん。なんだかよく分からんけど。内容的には「行動的なトラ」とあんまり変わらないよね。正反対だったらネタにもなろうもんですが。
2005年7月2日(土) ぶつける
何も作品制作に限ったことではないんだけれど。
いい加減な気持ちでつくったものにはやっぱり、そのいい加減さが見えかくれする。
どんなに技術が拙くても、どんなに知識が乏しくても、それを分かった上での精一杯はきちんと見える。
だから、恐れずにぶつけなさい。
2005年7月3日(日) 選択の正しさ
「自分が最良だと思った選択は、結果がどうあれ、常に正しいと信じなさい」
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うちが二十歳かそこそこの頃、そんな風にいわれたことがある。岐路に立たされ、失敗に怯えるとき、その言葉をふっと思い出す。「人生万事塞翁が馬」という言葉があるけれど、そういう単純な楽観主義ではない。「信じなさい」というのだから、それはある意味、強烈な信念だ。
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結果の良し悪しと正しい正しくない、というのは似ているようでまるで違う。良い悪い、というのは例えば経済的な成功だったり、周囲の評価だったり、そういう目に見えるものだ。でも、正しい正しくない、の基準は本人の信念に拠る他ない。悪い結果を「正しい」と受け入れるのはとてもとても困難なことだ。それでも彼はそういったすべてを「正しいと信じなさい」と言う。二十歳そこそこの人間に言うような言葉ではないと思うけれども、でも、それだけの信念がなければ、困難な選択に遭遇したとき、その選択すら放棄することになりかねない。
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ひとつ、気を付けたいことがある。この言葉のいわんとしているところは、あくまでも「選択の正しさ」であって、「行いの正しさ」ではない、ということ。正しくない行いに対して、その選択は正しい、ということはできない。そこで議論を摺り替えられてしまう可能性にだけは、常に気を配っておく必要がある。「行いの正しさ」については、今この場で議論するようなことではない。
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いずれにせよ、自分が歩む道に後悔は必要無い、ということ。過去を振り返って「あの時こうしていれば・・・」というのはあまり意味のあることではない。過去の可能性はすでに過ぎ去ってしまったものであって、取り返しようもないことだ。だから、自分が今歩んでいる道をしっかりと踏みしめ、先を見据えて進みなさい、とそう教えたかったのだろう。あれから8年近く経って、ようやくそれが分かった。
2005年7月4日(月) タロット
昨日、C7でタロット占いをやってもらった。一生に一度くらいはみてもらっても良いかな、と思っていたし、キャンペーン期間中でいつもの半額だったので。もうすでにある程度結論のでていることではあるんだけれども、ある意味で現状がターニングポイントではあるし、外から見てそれがどうなのか、というのも知りたかった。いろんな人から助言を受けた上で、それがタロットと整合性をもつのか、というのにも興味があった。
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結論からいうと、今自分が置かれている環境・現状とこの先自分がやろうと考えていること、そして周囲の助言について、精度の高い整合性があった。それにはさすがに驚いた。ひとつのものの考え方としてありかな、程度のものが得られれば良いと思っていたので、この精度の高さを突き付けられるとさすがにびびる。
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要はあまりぐちゃぐちゃ考えないでとにかく動いちゃえば、結果は後からついてくる、ということ。自分で選んだことなんだから、それをいちいち後悔しても仕方がない。小器用に策を巡らすなんて向いてないし、困難に行き当たったらそれはそのとき考えれば良い。ふむ、うちがすでに出した結論とそんなに大きくはずしてない。
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動くとしたらほんとにすぐか、年末くらいか。どっちに転ぶかはふたを開けてみないと分からないけれど、ただ少なくとも、事態が動くのは間違いないはず。ふふ。
2005年7月5日(火) simple beauty
聞いた話。
あるテレビ局のレポーターが著明な書家にインタビューをし、その際、一筆書いてもらった。仕上がるまでおよそ1分。レポーターは「たった1分でできた作品が何十万円という値段になるんですね」と発言。それに対し、書家が一言。「50年と1分!」。
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飾るのは容易だが、削ぎ落とすのは難しい。
極限まで削ぎ落とされた一本の線は美しい。
そして、そこまで自分を削ぎ落とすのにはとてもとても長い時間がかかる。
2005年7月6日(水) 思いもかけない
高校んときの同級生と思いもかけない偶然で、10年ぶりに再会した、ってのは知ってる方は知ってること。そういう再会だったら普通にあることなんだろうけれど、そういう人間が比較的近い世界で生きているってことはなおさら驚き。縁ってのは本当に奇妙なものです。
2005年7月6日(水) どうしても我慢できないこと
同じことを何度も言わせる人。
同じ質問を何度もする人。
同じ失敗を何度もする人。
学習能力のない人。
なにより我慢できないのは、当たり前のルールを当たり前に守れず、人に迷惑をかけていることに気づかない人。
2005年7月7日(木) 痛みと共に生きる
安易に喜ぶことがどうしてもできない。痛みがあり、苦しみがあり、満たされない思いがあり、それと共に生きているからこそ、癒しと満ち足りた幸福を知ることができる。でも、その痛みや苦しみを人に押し付けてまで、癒しや幸福を得ようとは思わない。幸福に溺れてしまえば、飢えも渇きも満たすことはできないから。
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飢え、渇くからこそ、そこから新しいものが生まれる。満たされたものの中からは、何も生まれない。
痛みと苦しみと飢えと渇き。その果てに、希望が生まれる。
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けれどもこれは、すべての人が歩むべき道ではない。もしあなたが日常を愛するのならば、あなたの祝福された幸福を望む。あらゆる痛みや苦しみが取り除かれ、飢えも渇きも癒された、満たされた日々を望む。あなたが望むのならば、生け贄も捧げよう。
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ただ自分には、それが安易に与えられた幸福にしか見えない、というだけのこと。
2005年7月8日(金) 変わってきたと思う
新しい作品をプリントアウトしてファイルに収めるついでに、過去の作品をぱらぱらっと眺めてみた。3年くらい前のから入ってるから、作品としては古い部類に入るかも。にしても、ずいぶん変わったな〜、と思う。ベースにしてる世界観は基本的には変わってないんだけど、技術的な部分とか、まとめ方とか、あとは…なんだかうまくいえないなにか。
2005年7月9日(土) イリヤ
いっさいの<もの>、存在者、人物が無へと帰したさまを想像してみよう。われわれは純粋な無に出会うことになるのだろうか。すべての<もの>を想像のなかで破壊したのちにも、なにものかではなく、ある(il y a)ということがらがのこる。いっさいの<もの>の不在が一箇の現前として回帰する。つまり、すべてが失われた場として、大気の濃密さとして、空虚の充実として、あるいは沈黙の呟きとして立ちもどってくるのである。<もの>と存在者とのこうした破壊のあとには、非人称的な、存在することの<力の場>がある。それは主語でもなく、実詞でもない、あるものである。それは、もはやなにものもないとき、なおのしかかってくる存在するという事実なのである。その事実はしかも匿名的なものである。だれひとり、あるいはなにひとつ、存在することをみずからに引きうけるものはない。それは、<雨が降る>(il pleut)や<暑い>(il fait chaud)とおなじように、非人称的である。存在することは、ひとがそれをいかなる否定によって遠ざけようが、回帰してくる。それは、たんに存在することの容赦なさのように、そこにある。
2005年7月10日(日) 彼方
ずっと遠くの方。
ときどき見え隠れするもの。
2005年7月11日(月) 変
面とむかって「変だ」と言われる。そんなに変か?と思う。
たしかにある種のまともさは欠いているかもしれないけれど、社会的なマナーやルールが守れない人間よりかはずっとましだと思う。いわゆる「常識」でも、守るべき常識と、打破すべき常識があるはず。守るべき常識は守った上で、固定観念や既成品のような「常識」を壊していくことが、新しいものを生み出す駆動力となる。そういう「変さ」は良いと思うけれども、マナーやルールを守れない「変さ」ははた迷惑なだけ。
2005年7月12日(火) 倦怠
日曜から月曜にかけて、なんだかよく分からないけど倦怠感のようなものにつかまっています。やる気がないわけではないし、仕事だって多少能率は落ちてるかもしれないけれど、いつも通りこなしてる。なんというのかな・・・そうだ、ルーチンワークにはまりこんでるような感じ。「これまでその方法でやってきたから」という理由だけで同じことを繰り返してる。でも、新しい方法を持ち込むにはまだ下準備がきちんとしてない。その狭間。突破口はいずれ、見つかるはず。
2005年7月13日(水) 霧の中
本格的に梅雨っぽい感じ。
職場は山の上の方なので、朝方はぶ厚い霧に包まれる。
窓の外は真っ白、少し先の建物さえも見えない。
でも、なんだか不思議と落ち着く。
朝方はほとんど人がいないし、ぼんやりと外を眺めるのも悪くない。
っても、ほとんど見えないんだけれど。
2005年7月14日(木) 日常
1日が淡々と過ぎてゆく。1日の終わりがあまりにも早い。あと3ヶ月もすれば28になる。ずいぶん前、「ひとつ年をとると1日の密度が薄くなっていくよね」なんて話をした記憶がある。今、それを強く感じる。淡々と過ぎる日常も悪いものではないけれど、そのあまりの“日常さ”に倦怠感をおぼえる。
2005年7月15日(金) 堪忍袋
ってどんな袋なんだろうね?
いい加減にしないと、そろそろ破裂するかもよ?
何が飛び出すかは破裂してからのお楽しみ〜。
2005年7月16日(土) 問題点と目的意識
物事を分かりやすく説明するには、筋道をたてる必要がある。話があちこちに飛んでしまっては、分かるものも分からなくなってしまう。
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個々の生のデータには意味がなくても、それが関連づけられれば、意味をもつようになる。だから、データを出す順番にも意味をもたせる必要がある。ただデータを羅列しただけでは、意味が分からないし、説明もできないし、相手にも伝わらない。
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相手に自分の出したデータを説明するには、問題点が何か、を明らかにする必要がある。問題点が明らかにならなければ、出したデータはただの数値の羅列である。
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大事なのは問題点を理解すること、そしてそれを解決するための目的意識をはっきりさせること。それは、研究職に限らず、どんな仕事でも共通である。
2005年7月17日(日) Beatlesを堪能する
ご存知の方はご存知かと思うので今さらっちゃ今さらなんですが。
Beatles好きです。ええ。1960年代の音楽って結構好きで。ああいうアコースティックなテイストが良い。
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知り合いの結婚お祝いパーティーで、思いがけずライブに遭遇しました。エレアコ(だよね?)の2人組。Beatlesならだいたいは、っていうんでいろいろと、ええ、リクエストしましたとも。終始御機嫌。
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やべっ、まだ早かったか。
2005年7月18日(月) 暑い
いきなり暑くなるとけっこうしんどいね。。。
2005年7月19日(火) 偏頭痛
来やがった、久々に。
2005年7月20日(水) to the next stage
ひとつ、ハードルがクリアできると、すぐに次のハードルを越えたくなる。さっき越えたやつよりももっと高いハードルを。現状には満足しない。もっと上があるはず、とぎらぎらしてる。そのために力を蓄え、機会をうかがってきた。
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それは、金とか権力の問題じゃない。対決するのは常に自分自身。自分と対決するのは何にもまして困難だ。困難だからこそ、挑む価値がある。簡単に越えられるハードルなんて、越えたうちに入らない。ぬるま湯の日常には飽き飽きする。
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もっと前へ!
もっと上へ!
2005年7月21日(木) 濁り
非難はたやすく、ときに蜜の味がする。しかし、過ぐれば本質を見失う。状況に流されない、透明な視線をもつことが肝要。
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行動を伴わない言動はすぐに信用を失う。不用意なおしゃべりはやがて命取りになる。言葉は少し足りないくらいがちょうど良い。
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見えているようで見えていないことのいかに多いことか。
見ているようで見ていない人のいかに多いことか。
2005年7月22日(金) 思い上がりと勘違い
「おれがやしなってやる」は男の思い上がり。
「わたしをやしなって」は女の勘違い。
2005年7月23日(土) ポートフォリオ
いっつも悩むんだよな。何を、どれだけ、どういう順番で見せれば自分の持っているものを最大限に伝えられるか。構成の仕方もデザ屋の仕事のうち。
2005年7月24日(日) いずれ終わる日常とやがて始まる日常
どんなに重要と目される人物でも、いなくなったからといって全部が停止するわけではない。たしかに多少の混乱は生じるだろうけれど、それで世界が終わったりはしない。ひとつの日常が終わり、過渡期を経て、また新しい日常が始まる。そして世界は相も変わらず動き続ける。
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部品は定期的に交換しなければならない。一部の部品だけが良質では、いずれ齟齬をきたす。「全体」というものはバランスの上に成り立つものであって、特定の部位に負荷がかかってしまえば、「全体」としての機能は損なわれてしまう。
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“新しいぶどう酒は新しい革袋に”
(マタイ 9:17、マルコ 2:22、ルカ 5:38)
2005年7月25日(月) コーヒーと煙草
おそらくこの世でもっとも害のありそうな嗜好品の取り合わせ。コーヒー単体だったらそんなにでもないんだろうけれど、煙草が加わると途端に体に悪そうな感じになる。でも、眠気をとばして作業に集中する前の儀式のようなものとして、どうしても欠かせない。困ったもんです。
2005年7月26日(火) 主張してみる
「更新したよ」ってのはやっぱり主張した方が良いんでしょうか、先生?
地味にのっそりやってるから、せっせせっせと主張するほどのもんでもないんだけれど。
見てる人も少ないしね〜。
2005年7月27日(水) 土砂降りの音
晩飯食って一服してたら、急に雨が強くなってきた。朝方から強くなったり弱くなったり、を繰り返していたんだけれども、たぶん台風がだんだん近付いてきたんだろう、短い時間だったけれど、土砂降りになった。
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土砂降りの音が好きだ。
土の上、アスファルトの上、車の鉄板の上、木の葉の上、傘の上。いろんなものに雨粒が叩き付けられて、いく種類もの音を出す。それら全部が混ざりあって、土砂降り特有の世界が突然あらわれる。そして、土砂降りは夾雑な音を追いやって、逆説的に穏やかな世界を作り出す。
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土砂降りの日、外に出るのは憂鬱だけれど、心のなかはとても穏やかだ。
2005年7月28日(木) 探究
高校のころ、化学は赤点ばかりだった。中和滴てい(字、忘れた)の原理が最後まで理解できず、ものすごく悔しい思いをした記憶がある。酸化数って何なのかよく分からなかったし、原子は単なる球じゃなくてもっと小さな素粒子(陽子、電子、中性子)から成っていて、実は意外と空洞があるんだよ、なんて言われてもぴんとこなかった。
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そんなんが、今では応用化学の研究室で働いている。イオン化ポテンシャルがどう、とか、電子配置がどう、とか、やれ配位数だやれ111面だ、そんな会話が日常的になされている環境。理解できないのは悔しいし、分からないで仕事するのも嫌だから、新書版の入門書だけれど、量子化学の本をいくつか読んだ。まだうまく理解できていないことも多いけれど、なんにも分からないでやっていた1年半前にくらべれば、ずっとましな状況にいると思う。
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大阪にいたころ、「どのメーカーのどの洗剤が一番汚れを落としやすいか」を突き詰めたことがある。食器用洗剤、トイレ用洗剤、お風呂用洗剤。実家にいたころはどれもたいして変わらんやん、と思っていたけれど、実際に比較検討してみると、結構な違いがあることが分かった。汚れの質や使う水の量、温度、意外といろんな要因に左右されている。安いものはたしかにそれなりだけれど、じゃあ高いものが良いか、っつったらそうでもない。目的によって適したものを選ぶのが、もっともコストパフォーマンスが良い。
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こういうのはたぶん、もうどうしようもない性質なんだと思う。あえてそれに逆らって生きていたって、よけいに疲れるだけ。
2005年7月29日(金) “ないものは作る”の鉄則
仕事中、「あ〜、これ自動でやってくれると楽なんだけどな〜」と思ってそんな感じのツールがないか探してみたんだけれど、どうにも見つからず。仕方ないから自分で作った。単純なデータの抜き出しだけだし、データそのものがそんなにややこしい書式じゃないから、Cでさっくりと。
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C言語ってえらい難しいんじゃないか、と思っていたんだけれど、実はそんなでもなくて。いくつかのルールが分かってしまえば、ロジックの組み立て方でどうとでもできてしまう。もちろん、処理が早いに越したことはないんだけれど、そんな長時間の計算をさせるものには手を付けてないから、まだ大丈夫。必要があれば、ええ、いろいろと。自分が必要じゃなきゃ、作んないけどね〜。
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すでにあるもので何とかしようとするのは当たり前のこと。多少複雑な処理でも、合わせ技でなんとかできてしまうことも多い。でも、根本的なところの処理ができないと、やっぱりそういう処理のできるものを作った方がずっと早い。“必要だけどない、ああ、困った”じゃだめで、“ないなら作ればいいじゃん”の発想が大事。
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作品にしたって同じことで、ないから作るんだ。すでにあるものをただなぞっているだけじゃ、先はない。いずれは道のないところにでくわすわけだから、自分だけの抜け道を自分で切り開いてみても良いんじゃない?
2005年7月30日(土) ポジション
自分がどういう立場にいるのか、この先どういう立場にたつのか、それをここのところよく考える。目指す方向性ははっきりしているけれど、それが現実のものとなるかどうかまでは分からない。でも、目指す方向が見えているのといないのとでは、話が全く違う。ただ漫然と動いているわけではないのだから。
2005年7月31日(日) 人と人をつなげるもの
ここ最近、思うようになってきたことなんだけれども。
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「作品」は、ものがただあるだけでは「作品」として成立しない。作り手があり、受け手があって、その中間点の媒介としてあって初めて「作品」として成立するものだ、と。それは人と人とのコミュニケーションを促進する触媒のようなもので、あまり良い言い方ではないのかもしれないけれど、それはある種の「通過点」に過ぎないのかもしれない。
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WEBがその最たるものだ、と考える。WEBデザイナーはたしかにブラウザ上に表示される画像やレイアウトをデザインするわけだけれども、WEBのもっとも重要な機能はサイトを介して企業と消費者、企業と企業、人と人をつなぐことだ。だから、画面をデザインするのと同時に、コミュニケーションをデザインしている、といえる。いや、むしろ、コミュニケーションを促進するものとしてデザインされなければならない、と思う。
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ここまで極論してしまって良いのかどうかは分からないけれど、人と人をつなげることが「作品」の機能のひとつだとしたら、人と人をつなぐこと自体、「作品」になりうるのじゃないだろうか。ライブがプレイヤーとオーディエンスがひとつになって初めて、作品として完成するように、人と人とをつないだことによって生まれる「なにか」。そういうものをぼんやりと考えていると、なんだかだんだん楽しくなってくる。
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フラットでゆるやかなネットワーク、というものを考える。職種、年齢、居住地、そういったものに囚われない、ゆるやかなネットワーク。もちろんそれは、団結したり結束を強めるのが目的じゃない。目的は「作る」という曖昧で抽象的なもの。そのとらえ方は様々だろうけれど、むしろ様々であって良い。「作る」の意味は決して一通りではないから。たぶん、小さなネットワークはいろんなところでできつつあるんだと思う。それが大きくなっていったとき、一体どんな作用が起きるんだろう?
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金曜土曜といろいろ話をして、なんだかいろんなことを考えた。