支店でもやったんですが、回ってきた漢字が違うのと、設問が微妙に違うので、こっちはこっちで。あっちは若干ネタに走ったところもあるので、オチはなしの方向で。
そんなわけで「道」の
うたかたさんからいただいた漢字バトン。
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「哲」でいただきました。哲学の「哲」?
支店の方では「理」でいただいておりましたので、あ、そういう方向性なんだ、と。
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01)バトンを回してくれた人に対して持つイメージの漢字は?「玄」
どの辺を切り取るのかにもよるとは思うのですが。
解釈下記の二通り。
「幽玄」の玄の字。描かれる絵は端的にこっちかな、と。
「玄人」の玄の字。うん、やっぱ玄人だ。
02)前の人が「質問6」で答えた漢字に対して自分が持つイメージは?いろいろ方向性はありますが。
●「明」
なんだかふと思ったんですが、この字、「日」よりも「月」の方が字の形としては大きいんですね。
太陽と月、どちらも地上を照らす天体ではあるんだけれど、いろんな創世神話なんかを眺めてると大概は両者、対の神としてあらわれる。一神教の場合は太陽だけだったりするけれど。太陽に重きをおくか、月に重きをおくか、っていうのは狩猟民族か、農耕民族かによって違うんだろうし、それにまつわる神話や伝承も異なる。太陽暦を採用するか、太陰暦を採用するか、っていうのもそこに効いてくるわけだし。
明るい、っていうのはまさに光りがあたっている状態でもあるし、そこから派生して「ある方面に詳しい」ということもある。それが結果、「導き手」という意味合いも出てくる。あ、そうか、暦はある種の「導き手」でもあるな。一方で例えば北極星だったり南十字星だったり、航海の導き手にも天体は使われていたわけで、「明」から「導き手」のイメージを引き出すのはそんなに無理があることではないな。
●「続」
ふと、DNAの二重螺旋構造を思い浮かべました。ぐるぐると螺旋状に巻かれたものがさらに螺旋にからまっている状態。個体は死んでもDNAは残り続ける。個体の生と死から超越したところで、生命は脈々と続いていく。その様があるいは、DNAの二重螺旋構造という形状に象徴されているのかもしれない。『死霊』を書いた埴野雄高氏は「魂のリレー」ということを言っているけれども、象徴的な意味合いで、「生者の死者に対する畏敬と責任」のようなものが、今こうして生きている者には課せられているのかな、と。それが「続」くことで、個体の生を超えたいわばガイア仮説の言うような「生命」っていうものが保たれていくんじゃなかろうかな、と、本来の意味からはだいぶ逸脱しておりますが、ふとそんなことを考えてみました。
●「和」
「小人は同じて和せず、君子は和して同ぜず」
単なるイエスマンじゃいかんのです。良いことは良い、悪いことは悪いとはっきり意思表示する。なぁなぁで済ませてしまうことを「仲が良い」と勘違いしている人のいかに多いことか。「それはあかんやんか」とはっきり言えないようならそんなのは「和」じゃない。単に同調、同情してるだけだ。
03)大切にしたい漢字を3つ一部支店とかぶりますが。
制作に重要な「観」「思」「創」の三段階。
●「観」
何度も引き合いにだしてしまってアレですが、高校のときの美術の先生に「デッサンや模写は技術を磨く訓練ではなく、対象を良く観るための訓練だと思いなさい」ということ。制作にしろ仕事にしろ、それに夢中になってしまうと周囲を「観る」余裕がときとしてなくなりがちです。でも基本は「観る」ということに尽きると思うのです。ただ「見る」のではなく、目をこらして、様々な角度から物事を「観る」。写真やってた頃に思ったのですが、普段何気なく、あまりにも当たり前に在るものでも、ちょっと視点を変えてみるだけで劇的にその姿を変えていきます。観るアングル、時間帯、光り、その他様々な要因。物事は決して一様ではない。
●「思」
そういう「観」の立場に立って、改めて物事を「思」うこと。思い込みや先入観は世界の可能性をどんどん狭めていきます。だから、角度を変えて「観」る、という方法論を「思」うことにも当てはめてみる。うちがよくやるのは神話学と物理学と心理学と哲学と言語学をばらばらにしてから再構成してみたりする。そうすると、思い掛けないつながりがふっと見えてきて楽しい。そういう思い掛けないつながりの視点を「観」の方にフィードバックしてみると、また物事が違った風に見えてくる。そうやって「観」と「思」をループさせて、次の段階へ。
●「創」
実は絵描きも学者も同じだと思っています。絵描きは絵筆でもって、学者は知でもって、世界の新しい側面を「創出」する。写真家が物事の思い掛けない側面を提示するように、書家が文字の思い掛けない側面を提示するように。マルセル・デュシャンの『泉』も、ジョン・ケージの『4分33秒』(『3分44秒』だったっけか?曖昧で失礼)も、物事の新しい可能性を提示した、という意味合いで評価するべきだと考えています。「創」ということは世界をいろいろな側面で切り出してみせる、という行為だと考えています。そのためにも「観」「思」というプロセスは絶対に必要だと考えています。
04)漢字のことをどう思う?余剰。形態が意味をはみだした意味を提示するもの。書がすごい、と感じるのはそういう意味合いです。漢字そのものは本来は意味の伝達手段なのですが、それをはみだしゆく何かがある。それは表音文字にはない、独特の風合いだと思います。
05)最後にあなたの好きな四字熟語を3つ教えてくださいこれも一部、支店とかぶりますが。
●「色即是空」
存在は一切が空であり、同時に空は存在である。仏教思想ですが、もしかしたらハイデガーの存在論に通ずるものがあるのかもしれない。ハイデガー哲学では「存在者」と「存在」を切り分け、「存在そのもの」について思考することがいかに困難であるかを説いていますが、仏教思想ではそれを「色即是空」という言葉でさらっと言ってのける。「在る」ということ、あるいは「無い」ということについて、きわめて示唆に富む言葉だと思います。
●「天地創造」
創造神話には様々なヴァリエーションがあります。その背後には民族の出自と歴史、民族としてのアイデンティティーが象徴的ではあれ記述されており、実に興味深いものです。記紀神話の「国生み」神話なんてかなり独特の発想だと思うし、「世界の周囲は巨大な蛇によって取り囲まれている」とする北欧神話も面白いと思う。世界をどのように見るか、というのは03)の「観」にそのまま通ずることだし、その源泉たる創造神話は自分にとって大きなテーマのひとつでもあります。
●「永劫回帰」
ニーチェ。たぶん哲学史上もっとも誤解されてしまった哲学者、と思っています。当たり前であること、それがいかにとんでもないことか、ということを言おうとしてるだけなのに、なにか違うものと誤解されてしまっている。まぁ、論調がかなり大袈裟だからそれも致し方ないような気もしますが。
06)次の人に回す漢字を3つ07)バトンを回す人5人とその人をイメージする漢字を。次に回すあてがないのでこの2つはパス。
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そんなわけで支店よりもだいぶ細かく書いてみました。