日々の泡粒

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2006年8月1日(火) 絶賛制作中

とりあえず今日の作業は終了。
1G超のファイルサイズになると開くのも保存するのもおそろしく時間がかかってしまって(15〜20分くらい)、うかつに保存すると待ち時間がえらい長くなってしまうし、かといって下手すりゃPhotoshopごと落ちてしまうので、その辺の兼ね合いがかなり微妙。G4さんでもこれくらいになってしまうとかなりしんどいらしい。はなっからそんなでかいpsdを作るな、っつー話もないではないのだが。
8月中に10点中5点は仕上げたいところなので、はりきってがんばろう、うむ。

2006年8月3日(木) 私は暑いのが嫌いだ

唐突に梅雨明けとか言われて、唐突に暑くなられても、心の準備ってものがあるじゃないか。無防備に普通に出勤したら、なんだかもやっとしてて気持ち悪い。いくら山の中とはいえ、一応は大学の敷地内なわけで、基本的に全体がアスファルトで舗装されているわけで、若干太陽に近い分、照り返しが厳しく感じる。大阪いたときはなー、これくらいの気温でも“避暑”とかいってたのにくそー。

2006年8月5日(土) クイックルワイパー4段攻め♪

今日は月に一度のワックスがけの日♪

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1)ドライタイプでざっとほこりをとる
2)ウェットタイプで表面の汚れをしっかり落とす
3)ワックスキットでワックスがけ
4)ドライタイプで最後の仕上げ

※みぞにはまったほこりは適宜濡れ雑巾などでとっておく

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そんなに広い部屋でもないから、手際よくやれば正味40分程度で終わる。
朝の涼しい時間帯にやるのがポイント。
掃除で始まる一日は実に清々しい。

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書を捨てよ。掃除をしよう。

2006年8月6日(日) 花火が見られなかった皆様へ

へっぽこ写真ですがどうぞ。



























2006年8月8日(火) ん〜、わかんね

考えても良いアイディアがでないときはいくら考えても時間の無駄。
そういう時は本でも読んでさっさと寝ちまうに限る。
一晩明けたらいろいろリセットされているものだ。

いや、そう願いたい。

2006年8月11日(金) いってきましたよ

今回は

東京国立博物館
 ↓
(ガンジーラーメン)
 ↓
川村記念美術館

でした。

実を言うと、本当は国立近代美術館と東京都写真美術館にも行きたかったのだけれど。さらに余裕があれば原宿のデザインフェスタギャラリーにも顔を出したかったのだけれど。川村記念美術館にいって帰ってきたら7時回ってたので、こりゃどこもしまってるな、と。残念ながら今回はこれにて撤退。

前項にも書いたけど、川村記念美術館は丸一日かけてじっくり散策したいところ。従って他を旅程に組み込むと、少なくとも一泊はする必要があるわけで。いずれいきたい。というか、誰かとあの空間を共有したい。そんな気にさせるところでした。空間そのものを気に入ったのって結構久しぶりかも。

2006年8月13日(日) けっこう昔の話

小学校の頃、どういう経緯で手に入れたのかは覚えてないんだけれど、ちゃちなモデルガンが家にあった。
最初のうちはごっこ遊びで満足していたんだけれども、そのうち気になるようになった。

“中身はどうなってるんだろう?”

当然のように分解した。
後でもとに戻せる自信はあった。



結局、いくつかのばねが余ったまま、もとに戻すことはできなかった。

2006年8月17日(木) “伝える”ということの重大さについて

仕事でプレゼン資料を作りながら。
イラストの仕事をしながら。
個人の作品を作りながら。

あるいは。

友人と馬鹿な話をしながら、こうやって阿呆なブログを書きながら。

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少なくとも、人と人とのコミュニケーションである以上、いずれはどこかで真正面から考えなければいけないことだ。

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“伝える”ということ。

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私は電話が大いに苦手だ。相手の表情が読めない。にも関わらず、メールのような文字のコミュニケーションと違って即時対応を求められる。相手の表情や仕草といったノンバーバルなものを手がかりにしてこちらの意図なり感情なりが伝わっているか、あるいは相手の意図なり感情なりが伝わってくるか、それを判断しているのに、その手がかりが失われたまま、即時対応しなければならない。電話によるコミュニケーションは非常に大きな対人スキルを求められる。対人スキルの乏しい私にとっては少なくとも、かなりハードルの高いコミュニケーション手段だ。実は、知っている人と電話で話すより、初対面の人と対面で話す方がずっとずっと緊張しない。

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プレゼンテーションは相手が知らないことを相手に分かるように説明することだ。この「知らないことを分かるように説明する」ということが非常に難しい。「1+1=2である」と“言う”ことは簡単だ。だけれども、「1+1=2が正しいのはなぜか?」を“誰でも100%納得できるように説明する”のは極めて難しい。ためしにやってみてご覧なさいな。

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私はデザインであれグラフィックであれイラストであれ、ある種のコミュニケーションツールであると考える。人によってはそこに直接的なメッセージを盛り込むだろうし、人によってはそれを触媒のようにしてコミュニケーションを促進しようとするだろう。いずれにせよ、それは人と人との間にあって、それと直接またはそれを通して人との関係を結ぶものだ。作品はそれ単独でも成立しうる。けれど、その周囲に人のいない作品にどんな存在価値があろう?たとえBGM的であっても、そこに作品があり、周囲に人がいて、コミュニケーションが発生してこそ、作品としての存在価値があるのだ、と私は個人的に考える。

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作品そのものが“伝える”ものは重要だ。そしてそれが言葉でない以上、言葉を越えたなんだかよく分からないものだって伝えうる。言葉にならない、言葉にできないものは、言葉にする必要はないし、むしろ言葉にすべきではない。言葉という枠組みの中におさまりきらないからこその、“なにか”だから。

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「私はあなたを愛する」と言う。
“愛する”ということを身をもって伝える。
どちらも本質的な差異はない。
“なにを”“どのようにして”伝えるか、はそれぞれの伝えたいものの大きさと、それを盛る己の器次第だ。
料理がより美味しく食べられる器というものが確実に存在するように、伝えたいものがより伝わる“器”だって存在する。それが言葉である人もあれば、行為である人もいる。それは自己の本質的な部分に関わるところであって、私が「こうすれば良い」と言えるようなことではない。
ただ言えることは、「器は大きすぎても小さすぎてもいけない。少し大きいくらいであればベスト」ということ。

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私が伝えようとしていることはなにか?
それは私の本質に関わることであって、安易に口にすべきことではない。

2006年8月20日(日) ぞくぞくする

DF24向けの作品制作中です。
始めにイメージありきなのですが、実際にそれが目の前で形になっていくとほんと、ぞくぞくしてきます。
煙草をばかばか吸ってコーヒーをがぶがぶ飲みながらの作業なので、さすがにその姿はお見せできるようなもんじゃございませんが。

ようやく半分まできました。
頂上がちらっと見えてきたかな?という段階。
ここからが大変。

2006年8月21日(月) 

    _  ∩
  ( ゚∀゚)彡 仕事しろ!
  (  ⊂彡  仕事しろ!

2006年8月23日(水) コトバ、コトダマ

何気ないことなのに、胸に響く言葉を言う人がいる。
大仰に飾りたてていても、一向に胸に響かない言葉を言う人がいる。

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古くから、言葉には呪力が宿ると信じられてきた。
言葉というものに対する畏敬の念が、そのように思わせたのだろう。
言葉は魔法である。

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言葉は人と人との間に在って初めて意味を持つ。
私が独り言として「いぬ」と言った言葉は宙に浮いてどこかへ消えてしまう。
だが、私があなたに対して「いぬ」と言った言葉は、どこかに消え失せたかのように見えても、どこかに何かしらの形で残る。

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私が発した「いぬ」という言葉の、私自身のバックグラウンドと、それを聞いたあなた自身のバックグラウンドはもしかしたら、違うかもしれない。けれども、「となりの家のタメゴロー」とさらに言えば、あなたも納得するかもしれない。私のバックグラウンドとあなたのバックグラウンドが交差した瞬間である。

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言葉はそれ単体では成立しない。
それは私とあなたの関係を要請し、かつそれぞれのバックグラウンドを要請する。
そしてそこに、私とあなたの新たな関係が生じる。
コミュニケーションとはすでにそこにあるものではなく、常に新たに生起する、関係性における現在進行形の“出来事”である。

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内実を伴わない言葉に意味はない。
ただ放り投げられた言葉は死して消え行くのみである。
心せよ。

2006年8月24日(木) さて、さて、

さては南京たますだれ。

違う、間違えた、そっちじゃない。

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手詰まりになったとき、さてどうするか、と考える。

1)力づくで突き進む
2)別の道を探してみる
3)諦める
4)とりあえず寝る

この中で、もっとも効果的なのはどれでしょう?

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しんきんぐたーいむ

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  /⌒ヽ
  / ´_ゝ`) お茶でも飲んでますよ
  |   ⊃旦~~
  と__)__)

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つーか間違い無く4)を選ぶね。

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手詰まりだと感じたとき、一番の問題点は何か。
それは、自分の視野が著しく狭まっていることである。
切羽詰まってくるとどうしても、今現在おこなっていることにどうしても固執してしまう。なんとしてでも今のやり方で突き進まないといけない、という思いにかられてしまうことが多い。腕力があるなら、それでも構わない。その方が楽な場合も、あることはある。けれども、腕力の行使はときに本質とは異なる壁をぶち抜いてしまうことだってある。それはあまりいただけない。
視野が狭まっているとき、2)を選ぶのは困難だ。違う方向に目が行かない状態に陥っているのだから、目の前の壁ばかりが目についてその脇についている小さな抜け道を見落としてしまいがちだ。だから、手詰まりだと感じたとき、2)にまっさきに飛びつくのはあまり効果的ではない。
3)は時と場合による。“諦めても良いか?”の判断はかなり微妙なところで、「これ以上やっても無駄である」とどこで判断するか、それが重要なキーとなる。“諦める”という行為は本当はずっとずっと先まで物事を見通して初めて成立する“決断”であって、口で言うほど簡単なことではない。

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睡眠の最中、人の脳の中で何が起こっているのか、諸説あってこれだという決め手はあまりない。レム睡眠とノンレム睡眠のサイクルがあることは分かっており、レム睡眠の最中にまぶたの裏で眼球がきょときょと動いているのが観察される(“レム”はRapid Eye Movingの略)。その間は体は休んでいるが脳は活性化している状態で(それを逆説睡眠、またはパラ睡眠とも呼ぶ)レム睡眠の状態で夢を見ていることが明らかとなっている。
けれども、そういう状態が“なぜ”起こるのかはほとんど分かっていない。客観的事実とその解釈は本質的に異なるものである。

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蘊蓄はまぁ良いとしよう。
諸説あるうちのひとつに、“睡眠中、脳は覚醒時の情報を整理している”というものがある。どういう理由によるものなのかまではちょっと調べ切れていないんだけれども、確かに言われてみればそうかもなぁ、と漠然と納得するような感じもする。記憶というものは実は結構いい加減で、実は割と簡単に作り替えられてしまうことがよくある。記憶の改ざんそのものは心理学的に非常に興味深いトピックであるが、それはひとまずおいとくとして、睡眠中、記憶の整理が行われているんじゃなかろうか、と考えるのである。整理とは“削除と再配列”である。その記憶がその人にとって重要でなければ削除され(実際には完全に消去されるわけではない。その辺は記憶に関する本を読むとたいがい出てくる)、重要度や時系列など、ある規則に則って再配列される。Excelでデータ処理を行うのと同じようなものだとひとまずは考えておいても良い。実際にはもっと複雑なのだけれども。

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さて、寝て起きたとする。
頭の中ではいらないデータは削除され、ある規則に従って並べ替えられたデータがある。
狭まっていた視野は、起床時にリセットされている。

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さぁ、考えよう。もっとも効率的なのは1)か、2)か、3)か。

2006年8月29日(火) 

近頃こっちがわ、ものすごくいい加減ぽくて申し訳ないです。
支店の方ばっかになってしまっております。
大きい更新は12月のDF後で。

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