日々の泡粒
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2007年4月8日(日)
※支店より抜粋
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河が海に流れ込み、淡水と海水が混ざりあう場所を汽水域と呼ぶ。
沖縄でマングローブの群生地を見た場所も、汽水域だった。
そこは単に淡水と海水が混ざった場所ではなく、それらの相互作用により、汽水という異なる性質をもつものとなる。
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汽水域というと、これまでどうしても、“単に淡水と海水が混ざった場所”というイメージしかもてなかった。それは単に変化のグラデーションでしかないのだろう、と。
しかし、汽水域の独特の環境が示すように、その変化のグラデーションそのものが、ひとつの独立した環境である。つまり、グラデーションそのものがある単一の色である、ということを、この事実は示しているように思うのだ。
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汽水域とはつまり、海と河との境界である。
しかし、その境界は画然としたものではなく、ある変化の幅をもった“面”である(定義上、“線”は面積をもたない)。そしてその“面”はAともBとも異なる、Cという性質をもつ。A、Bの両者に属しながら、そのどちらでもない。
それを曖昧と言うべきか、突出と言うべきか。
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自己、あるいは意識というものを、汽水域のようなものと捉えてみたらどうだろう。
職場とプライベートで使い分けるのはよくあることだし、場合によっては相手に合わせてある自分を演じることもある。それらが混ざりあってなお、屹立するのが自己ないし意識である。
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それは、空間の中にある場所を占めるものである。
凹凸があり、奥行きがあり、温度があり、振動がある。
それらの光の反映として、それらは目に映ずる。
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刻まれた過去、期待される未来。
それらを包括した“個”が現象として現出する、ということ。
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此処から其処までの距離。
その距離故にうまれる物語は、やはりある種の汽水域であろうと思う。
それは曖昧で、それでなお突出する境界。
2007年4月23日(月)
DF vol.25のブースが決まりました。
C-0658,0659です。
5月26日27日は東京ビッグサイトへどうぞ。