日々の泡粒

最新7回分

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2008年5月8日(木) 【動画習作】etude#04 "Angel Lights"

動画習作第4弾。

etude#04 "Angel Lights"をアップしました。

2008年5月4日(日) 

人が立ち働いている姿を見るのが好きだ。
自分はこれまでほとんどデスクワークばっかりだったので、ショップや飲食店にいくと、店員さんの立ち働く様子をじっと観察してしまう。
ゆっくりのんびりしたい時は別だけれども、やっぱり元気良く対応してもらえると、気持ちが良い。
そういう所は、人がすべて、と思うのだ。ただモノを売るだけだったら、極論を言ってしまえば人がいなくて無人の自販機だけでも良い。そうしてしまえば、人件費だってかからない。
けれども、そこにはほとんど必ず、人がいる(野菜の無人販売所なんかは別としても)。考えてみれば、当たり前のことのようで、その事は意義深い、ような気がする。そこに人がいる、ということの意義。

2008年4月29日(火) 

伝えようとする努力もなしに「伝わらない」と嘆くのは、ちょっと違うと思う。

2008年4月26日(土) 

動き出せ。
たとえ周りに味方が一人もいなくなっても。

2008年4月23日(水) 散り際

昨日、中庭で煙草を吸っていると、さっと風が吹いて桜が散りゆく様が見られた。桜の散り際は、本当に美しいと思うし、散るからこそ、その美しさがより際立つのだと、思う。

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永遠、ではないのだ。
花を咲かせ、風に散り、葉が芽吹いてやがて落ち、そして再び花を咲かせる。
そういう周期性がひとつの環をなして、ひとつの異なった永遠を成す。
その一つの環は、桜の種子が芽吹き、育ち、やがて老いて枯れゆく、より大きな環の中に組み込まれている。
その環は、その環そのものでは永遠のサイクルであるが、その環はより大きな環に組み込まれており、その大きな環の中では、自身の永遠性を失う。
人間が生まれて死ぬまでの間の、たかだか80年程度のタイムスパンでは、見える環と見えない環があろう。
それを何処まで見通せるのか、と考え、その考え自体にはさして意味がないことを知る。

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我々はある種の永遠に思える永遠ならざるものに組み込まれ、永遠であろう瞬間瞬間を生き、それを永遠ならざるものと転化して、生きているからだ。

2008年4月22日(火) 夜明け前

昨日は異常に身体がだるくて、ちょっと制作の続きをやってから、10時前に早々に寝てしまった。あんまり早くに床に就いたものだから、3時頃に目が覚めて、しばらく布団の中でだらだらしてみた。



気を引き締めて溢れないようにしていた記憶が、ふと力が抜けた拍子にどっと溢れてきた。




記憶はそうそう消せやしないと、思い知る。
そんなこと、大学でさんざん研究してきたことなのに。
知ることと、身をもって感ずることは、違うものなのだ。



神の存在を知ることと、その存在を信仰することが、明らかに違うように。

2008年4月20日(日) 死を想う

年齢を重ねていくと、死がどんどん身近になっていく。それにつれて、自分自身の死も、想うようになってきた。自身の死がいつ訪れるかなど、分かろうはずもない。もしかしたら明日、逝ってしまうかもしれないし、40年、50年先のことかもしれない。ただ少なくとも、自分自身の生は限りのあるものであり、いつまでも続くものでは決してない。だからこそ、その限られた時間の中で、自身に何ができるのか、と考える。

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答えなど、そうそう見つかるものではない。
日々のいくつもの喜怒哀楽を受け止め、多くの生と死に向き合い、その中で安住できる場所を見つけた人は幸いだ。それを見つけた友人達には、心からの祝福を贈ろう。

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自分にそういう安住できる場所が見つけられるかどうか、不安になることもある。あるいは、旅の途上で倒れてしまうかもしれない。それは未来の可能性に属することで、今、それを確定的に語ることは、できない。

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Akiary v.0.51